九元レイキ本部
有限会社 木村爽健
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有限会社 木村爽健代表

木村 和夫

近畿大学農学部卒
京都大学大学院修了 農学修士
鍼灸按摩マッサージ指圧師

 私が九元レイキを教えるようになった経緯(ちょっと長めです)
体の弱かった少年時代

 私は中学2年生頃まで、小学生の頃から続くアレルギー性鼻炎に悩まされていました。

アレルギー性鼻炎は程度にもよりますが、常に鼻がつまり、まるで額の前に重しを乗せられたような感覚が伴います。ですから、勉強をしても集中力ややる気が常にそがれるような状態でした。

そんな状態ですから、何をしようにも集中力がそがれる傾向がありました。小学生の頃、バスケットボール部に入りましたが長続きしませんでした。なんとなく、やる気がおきなかったのです。今、考えてみるとこういった体調が問題だったのかも知れません。

ですから、何とかアレルギー性鼻炎を治したいと思い、小学校3年生くらいから耳鼻科に通い、治療を受けていました。しかし、その治療はというと、鼻に金属の細長い棒を突っ込んで鼻水を吸い取り、後は鼻に蒸気を当てるだけ、というものでした。

治療を受けた直後の数時間は、鼻づまりもなくスッキリしますが、それもその場限り。次の日の朝には、また鼻が詰まった状態に戻っています。それでも、私は根気よくその耳鼻科へ中学2年生になるまで通っていました。

しかし、一向に症状は治まるどころか、ひどくなる一方。もうすぐ高校受験があるというのに、肝心の勉強になかなか集中できない。そんな状態でした。そこで、私は思い切って耳鼻科の先生に話を聞いてみました。

「アレルギー性鼻炎は、いつごろ治りますか?」

すると、その先生は
「気長にやっていれば治りますよ。」
という、いい加減な返事。

小学校3年から6年間も気長に通っていて治らないのに、こんな答えを言われては、さすがに子供でもこの方法では治らないというのがわかります。

東洋医学でアレルギー性鼻炎が3ヶ月で治った

「これは頼りにならない。」
そう思った私は、こまめに本屋にいっては、健康に関する本を読み漁っていました。そんな中、東洋医学の本の中に、症状別の治し方を書いた本がありました。

アレルギー性鼻炎を調べてみると、治し方が書いてあったのでその本を購入して早速実践してみました。内容はとてもシンプルで、鼻に水を通すというもの。本当に効くのかわかりませんでしたが、3ヶ月取り合えず続けてみることにしました。

「鼻に水を通す」というと、「とても痛そうだな」と思われるかも知れません。
そうです、痛いんです。最初は、中々鼻に水を通すことができず、時には鼻血が出ることもありました。

それでも、うまく鼻に水を通すことができると鼻のつまりが楽になっていました。そうやって悪戦苦闘しながら朝晩繰り返すうちに、3ヶ月後にはアレルギー性鼻炎がほとんど完全に治っていました。朝起きても、鼻は詰まっていません。勉強中も集中力が途切れません。

あれほど何年も治療を受けて治らなかったアレルギー性鼻炎が、たった3ヶ月で、しかもとても簡単な方法で治ってしまったのです。今までお金と時間を使った数年間は、一体なんだったんだという気持ちです。

しかも、体質や性格まで変わっていました。それまでは、すぐに風邪をひくような体の弱い子供で、何も長続きしない性格でした。それが、アレルギー性鼻炎が治ってからは、風邪をほとんど引かなくなり、何でも長続きするような粘り強い性格に変わっていました。
そういった実体験を通して、私は東洋医学にとても興味を持つようになり、色々な本を読み実践するようになりました。

ハイパーレイキ創始者 藤田先生との出会い

その後、大学に入ってハイパーレイキ創始者の藤田先生と出会います。元極学という気功を習いに行ったのがきっかけでした。元極学という気功は、中国で最初に医療認定された気功で、その効果が他の気功と比べてかなり高く、理論的にも他の気功にはない独特のものをもっていました。

私が元極学を知ったのは、テレビの番組でした。
「奇跡を起こす男たち」
と題した、いかにもといったテレビ番組で元極学が紹介されていました。

番組では、1000人は入りそうな体育館にたくさんの人が集まり、壇上に一人の男性が立ち、両手を交互に動かしています。すると、不思議なことにその男性が動かす手に反応するように体育館にいる人たちは体を左右に動かしたり、涙を流したりしていました。

少し前なら宗教と間違えられそうな風景です。
その後、壇上に病名を書いた紙を首から下げた人が集められ、一列に並んで治療を受けていきます。治療といっても先ほど壇上で手を動かしていた男性が、数秒手を当てるだけです。やってることはすごく地味でしたが、効果は明らかでした。

たとえば、
「耳が聞こえない」
と書いた紙を持った人が、その場で声が聞こえるようになり、周りの方の声に反応して話しています。

戸板に乗せられ、
「寝たきりで立てない」
と書いた紙を持った人が、その場で立ち上がり、人の手を借りずに歩くことができるようになる

まさに奇跡としか言いようのない状態です。

そういった治療を、その男性は何百人に対して行っていきます。

「一体これは何だ!?」
と私は驚きました。
と同時に、
「こんな能力を身につけられるなら、学んでみたい」
と強く思うようになっていました。

そんな時に、新聞の一行広告欄に元極学教室の案内を見つけます。
教室は大学への通学途中にあったので、すぐに行ってみました。

そこで、初めて藤田先生と出会いました。その日の講座を受けてみて
「この方法は学ぶ価値がありそうだ。」
と感じた私は、その教室に通うことにしました。

教室では、単なる気功の動作だけでなく、気に関する理論や概念、実験など色々なことをやりました。その中で、気感や体内のエネルギーの動きを感じるようになっていきました。教室に行った後は、体がとても軽く楽になりました。

功力がなかなかあがらない

教室に通うようになって2年くらいたった頃、私は自分の功力(パワー)が中々あがらないことに悩むようになっていました。

自分の気感が中々強くならないのです。
確かに最初と比べればかなりハッキリした気感を感じることができるようになっていましたし、修練の後はその日の疲れがすっかり取れて体も軽くなっていました。

でも、自分が満足できるだけのパワーがありません。もっとパワーを上げる方法はないのか、といつもそんなことを考えていました。

一瞬で功力があがった

そんな時に、藤田先生から
「ハイパーレイキという方法があるんだけど、受けてみないか?」
という話をされました。

話を聞けば、伝授を受けるだけで、天地につながることができて、エネルギーを外部から取り込むことが簡単にできる方法だといわれました。

その話を聞いて、私は最初半信半疑でした。というのも、2年かかってこれだけ努力しているのにパワーが上がらない。でも、ハイパーレイキならそれが可能だという。しかも一日で。

とはいえ、それを進めてくれているのは信頼できる藤田先生です。そこで、思い切ってハイパーレイキを受けてみることにしました。

伝授を受けて見ると・・・
それまで感じていたエネルギーとは段違いのエネルギーが体に入ってくるのがわかります。手には強い気感があります。

「本当に一瞬で変わった」
それが私の印象でした。伝授を受けた後の変化が一瞬でわかったのは、今まで感覚を上げる訓練をしていたおかげだと思います。

何はともあれ、パワーが格段にアップしました。

そして、元極学の修練をすると、相乗効果でパワーがどんどんとアップしていくのがわかります。体感的に言うと、夏はシンボルを使うだけでジワっと汗が吹き出るくらいに温度差を感じるようになりました。

人生の流れが変わりはじめた1
大学院に合格

私自身のパワーがあがっていくことで、色々な変化が現れました。それは、体だけでなく周囲の変化を伴った全体的な変化でした。

まず、大学院に進んでもっと勉強したいと思うようになりました。そして、それにあわせるように、情報とチャンスがめぐってきました。高嶺の花と思っていた、京都大学の大学院に合格できたのです。私がいた大学の難易度から見れば、京都大学の大学院に入ることは、かなり難しい事でした。私も普通に受験していれば、おそらく合格は難しかったでしょう。

ところが、私が受験する年に京都大学の大学院に研究室が新設されることになりました。しかも、その研究室が設置されるのは、大学本部から離れた研究施設です。その場所は、私の実家がある市内にあり、私から見ればとても便利な場所でした。

また、新設されたばかりの研究室だったため、結果的には京都大学内部から進学する学生はいませんでした。他の研究室は、希望する学生が多く合格できない人が何人もいました。それと違って、私は脚きり点さえクリアすれば合格できる状態だったのです。
そういった幸運な状況で大学院に合格することができました。

その上、新設された研究室だったため、研究テーマが決まっていませんでした。そこで、私はかなり自由に研究テーマを決めて、取り組むことができました。

研究に取り組むのと同時並行で、私は藤田先生の新しく体系化した「統合的な治療法」、「シンセティック・セラピー」を勉強していました。

なぜ、治療家でもないのにそういったものを勉強していたのか、不思議に思う人がいるかもしれません。しかし、私にとっては自然なことでした。なぜなら、社会に出て仕事をしていけば、今まで以上に人とのコミュニケーションや健康管理が重要になることがわかっていたからです。

ですから、社会に出て働くまでに、健康を自分で回復、維持できる方法を身につけておくことは、一生の財産になると思っていました。そして、幸運なことに質の高いシンセティック・セラピーを学ぶ時間があったのです。

シンセティック・セラピーでは、心理的療法、整体的療法、気功的療法といったエネルギーだけに限らない内容を広く学び、それらを融合的に利用する方法も学ぶことができました。特に心理療法で学んだNLP(神経言語プログラミング)は、考え方そのものを学ぶ方法だったので、研究内容を考えるときや人とコミュニケーションする時にも大変役に立ちました。

そうして、瞬く間に大学院の2年が過ぎました。しかし、就職で問題が発生しました。なんと就職浪人してしまったのです。実は、大学院在籍中に前の大学の教授にある会社を紹介されていました。そして、ほぼ内定をもらっていました。ところが、その会社の問題でその年の新規採用がなくなってしまったのです。

それを告げられたのは、私が大学院を卒業する年の2月。すぐに就職活動をしましたが、4月までに就職先などそう簡単に見つかりません。そこで、すっぱりとその年の就職は諦めて、大学院に研修生として在籍し、ゆっくりと就職先を探すことにしました。

その就職浪人中は、私にとってとても有意義な年になりました。派遣社員として近くの会社に入り社会経験をしたり、海外を一ヶ月一人で旅行したり、人生についてゆっくりと考える時間がありました。

無人島のような旅先での親友との出会いや、自分の考え方を変える旅先での様々な出来事。お金はありませんでしたが、自分の視野を広げるよい時間を持つことができました。

人生の流れが変わりはじめた2
外資系コンサルティング会社に入社

そして、就職先に選んだのは、経営コンサルティング会社のITコンサルタント。全く大学院までの専門分野と異なりましたが、頭を使って仕事をするということにとても興味を持っていたので、そういった業界を選びました。

この就職のときも、不思議なことがありました。当然、いくつかの会社を受けたのですが第一希望の会社以外、内定をもらえなかったのです。別に手を抜いたわけでもありませんし、特別成績が悪かったようにも思えません。また、第一希望の会社は、全米ビック5と呼ばれる会計事務所から分離・独立した多国籍企業で、かなり難易度が高かったのは確かです。

それが、いつの間にかトントン拍子に最終面接まで進み、内定をもらっていました。

入社してみると、要求される仕事のレベルも高く、外国人と一緒に仕事をすることもありました。イタリア人、アメリカ人、オーストリア人、中国人、韓国人、たくさんの人と一緒に仕事をしました。そういった意味では、非常に刺激的でやりがいのある仕事でした。しかし、ひとつ問題がありました。

忙しすぎるのです。

それも体を壊すくらいに。

ある時期は、毎日15時間以上働いて一ヶ月休みなしという状況になり、一緒に働いていた人たちが風邪や肺炎で次々と倒れていきました。私の上司は、毎日朝一番で、点滴を打ってから出てくるという状態。
私はというと、毎日ヒーリングをしていたので体調を崩すことはありませんでしたが、
仕事とはいえ、自分の健康を損なうまで働く気には段々となれなくなっていきました。

そうやって仕事をする内に、あることがわかってきました。それは、周囲の人たちの健康に対する常識と私の常識の違いです。私自身は、自分でヒーリングする方法を知っているので、ちょっと疲れたり体調が思わしくないと思えば、ヒーリングしてその場で体調を回復させることができます。

しかし、周囲の人たちの考えといえば、疲れたら高いドリンク剤を飲む、サプリメントを飲む、薬を飲むといった外部からアプローチする方法ばかり。一時的にはいいかも知れませんが、これでは自分の内部から健康になることなどできません。

仕事はできる人なのに、健康に関する間違った知識ばかりで、毎晩遅くまで深酒している。近くで見ていると、
「この人は後何年この生活を続けることができるんだろう。多分、後5年くらい続けていたら、大きな病気になるか、倒れるだろうな。」
といったことを思うことがしばしばありました。

ヒーリングの世界に飛び込む

そこで、私は思いました。私の知っている、あるいは持っている技術は、どうやら普通の人にはあまり馴染みのないものらしい。これを使えば、体調の回復やストレス解消を簡単にできる。これほど仕事ができる人たちですら、こんなに不健康な状態で知らないことが多い。これを、みんなに教える仕事をするほうが自分には向いてるんではないか?

そう思った私は、ヒーリングについて調べたり、そういった集まりがあれば出席してみたりして、情報を収集していきました。すると、私の知っている知識や能力が、どうやら他のレイキと比べると、理論面、パワーの面で見てもかなり差があるということがわかってきました。

そこで、師匠である藤田先生にそういった状況を聞いてみました。
すると、
「今のエネルギーに関する考えは、言った者勝ちの状況で、内容が無いものも多くあって玉石混合の状況だよ。君は気づいてないかも知れないけど、今まで学んだ方法や能力は、一般には知られていないものが多く含まれているし、その効果も格段に違うよ。」

そういったことに薄々は感じていましたが、藤田先生の言葉を聞いて自信がわいてきました。そこで、この方法を教える仕事をしてみようと思い、仕事の合間を利用してハイパーレイキのセミナーを行うようになりました。

すると、受講された方から非常に好評で、
「理論的によくわかった」
「レイキと比べて格段にパワーアップしたのがわかります」
「わかりやすい」
「体調がよくなった」
「毎日が楽しくなりだした」
「家族関係がよくなった」
「格闘技の技術があがった」
「スポーツの成績が上がった」
といわれるようになりました。

そこで、本格的にハイパーレイキを教えていこうと考え、思い切って3年弱いた会社を辞めました。
と同時に、きちんとした東洋医学の国家資格を得ようと思い、鍼灸学校に通うことにしました。

そして、ハイパーレイキの教師として活動すると共に、3年間の鍼灸学校生活がはじまりました。

東洋医学と鍼灸
 鍼灸学校に通いはじめ、東洋医学、西洋医学を学び、鍼灸、按摩、マッサージ、指圧についても実技を通して更に知識、経験をするようになりました。先生方は、とても深い知識をもった方が多く、大変勉強になる部分が多くありました。しかし、鍼灸を学ぶにつれて、ひとつ疑問が浮かぶようになったのです。
「治療方法の考えが西洋医学に近すぎる」
ということです。東洋医学は、西洋医学に比べれば、何十倍もの歴史があります。その中で蓄積された経験や理論は、かなり有効な部分があります。分析的な西洋科学の手法は、歴史で見ればたかだか100年程度です。まだまだわからないことだらけのはずです。もちろん分析結果は重要ですが、肩こりという身近な症状が、検査で異常なしになるのは、おかしいと思うのです。そういった検査ででない部分を取り除くには、東洋医学がとても効果的だと思うのです。

 しかし、授業で主に説明をするのは、筋を緩めるといった話が中心になります。生理的にどうといった話も多くなります。病理学では、西洋的に治らない病気を詳しく勉強し、如何に治らないかを学びます。
そういった後ろ向きな話を聞いていると、「氣功やレイキだとこういう風にできるのにな」といったことが、頭の中をよぎります。

 実際ハイパーレイキを学ばれて、そういった問題を自分で解決された方もいます。確かに、学校という場所では実証されていない話について、説明するのが難しいという面もあるのだろうなと思いますが、せめて氣というものの存在は自信をもってあると言ってほしかったというのが正直なところです。なぜなら、東洋医学は「氣」の理論なのですから、前提の「氣」を抜いてしまうと、なにものこらないですから。そして、ハイパーレイキ教師として活動するうちに、新しい氣功の先生と出会います。

 新しい氣功の先生からは、氣を扱う事柄全般を教えてもらうようになりました。古神道、密教など、従来の宗教と思っていた中に、実は氣功の要素がふんだんに入っているということや、言霊、数霊などの
数字や言葉が持つエネルギーや神秘性、法則性についても学びました。そんな中で、ハイパーレイキに色々な応用技を追加して使用していましたが、段々とその枠に私の考えが収まらないようになってきました。そこで、今までに学んだものを整理して、新しいレイキを創設しようという気持ちになったのです。

新しいレイキの創造へ
九元レイキの創設へ

続く。。。


こぼれ話
大事故でも無傷
 大学、大学院と学生時代、かなり大きな事故に何度かあいました。自業自得といえばそれまでなのですが、そんな時もハイパーレイキのおかげなのか、全ての事故で無傷でした。私自身が起こしたのは一度だけで、後は友人の車に乗っているときに遭遇したことです。

私が起こしたのは、居眠り運転でした。峠道の下り坂で左に大きくカーブしている場所。それまでに10時間以上運転していた私は、その下り坂に差し掛かったときに一瞬寝てしまいました。すると、次の瞬間車がゆれ、あわててブレーキをふみました。ボンネットからは白い煙が立ち昇っています。

一体どうしたことかと車から出ると、なんと下り坂の正面にあったガードレールを車ごと乗り越えていたのです。通常であれば、峠道ですから目の前の川底に転落、というところですが、運良くガードレールの奥に待避所があったおかげで、川底に落ちずにすみました。しかし、車への衝撃は強かったようで、エンジン部分を見るとガードレールとの接触時の衝撃で、エンジンの大きさが半分になっていました。

幸い、体には何の問題もなく、周りに車がいなかったことで単独事故ですみ誰にも迷惑をかけずにすみました。もちろん、家に帰ってから両親にはこっぴどく怒られました。

友人の車に乗っている時は、崖から落ちました。
RV車で山道を走っていたときのことです。右は切り立った崖、左はたくさんの雑草が生えた谷底でした。谷底の深さはその雑草にさえぎられて、車からは見えません。かなりの深さがあったと思います。そんな場所を走っていました。

丁度、車の横幅と道幅が同じくらいの場所に差し掛かったとき、左側に大きなくぼみがありました。友人は、そのくぼみにハンドルを取られてしまい、車はそのまま左側にある谷底に横転しながら落ちました。

普通なら、このまま谷底に転落して大怪我ですが・・・

ここでも運のいいことに、背の高い雑草に引っかかって、車は横転したような状態でとまりました。丁度、右側のドアが空に向かった状態です。私たちは、車が動かないように慎重に右側のドアを開けて、外に出ました。まるで、潜水艦からハッチをあけて外に出るような気分です。とはいえ、事故にあったときはさすがに死ぬかと思いました。

その車は、クレーンで引き上げてもらい、エンジンをかけたら車が動いたので、そのままその車に乗って家に帰りました。

もうひとつは、友人の車の助手席に乗っていたときのことです。小高い山にあった大学から、下道まで降りようと車を走らせていました。友人は、くねくねと曲がりくねった道をスピードを上げて降りていきます。すると、段々と加速度がついてスピードがかなり上がっていきました。最後の急な右カーブに差し掛かったとき、曲がりきれずにコーナーに車が突っ込んでいきました。

軽自動車だったので、その速度でコーナーにぶつかれば助手席側は無事ではすみません。。ところが、車は縁石にぶつかった後、見事に跳ね返ってカーブを曲がりきったのです。まるで、ピンボールの玉のように当たって跳ね返ってきました。車も私も無傷です。

ただ、縁石に植えられていた樹木の小枝と葉が助手席側のサイドミラーに刺さっていました。それが、縁石部分にかなり強く当たったことを証明していました。

このように、思い出していくと色々でてくるのですが、事故にあってもまるで守られているかのように、無傷でした。一度だけなら偶然で片付くところですが、3回も続けば何かの力を感じないわけにはいかないなあと思いました。

さすがに今は、そんな無茶をすることはありません。

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 取得した資格
  • 鍼灸師
  • 按摩・マッサージ・指圧師
  • ハイパーレイキ第1段階
  • ハイパーレイキ第2段階
  • ハイパーレイキ第3段階
  • ハイパーレイキ正教師
  • シンセティックセラピスト(操体法、NLP、催眠療法、元極学、ハイパーレイキを合わせた統合医療)
  • 元極学混沌初開法修了 
  • 九元レイキ創始者
  • 心相科学鑑定師


http://www.k-soken.com/
木村爽健(ハイパーレイキ東京城東支部)
〒111-0033 東京都台東区花川戸1-12-8 メゾンムーヴェル503
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TEL&FAX:03−3843−8050

木村爽健ミッション:健康に関して即効性、実績、原理・原則があり、誰でも使える情報・商品を適正な価格で提供する。ただし、「お金を払ったんだから治せ」といった他力本願な方、あるいは最初から全てを否定しクレイムのみを言う方は、お互いに時間を無駄にするだけなのでご遠慮願います。

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